歴史と儒学に基づくフィロソフィ経営で藩政を大改革した山田方谷
方谷の理念:「士民撫育」(全ての人の物心両面の幸福を追求する、豊かにする)と「至誠惻怛」(真の誠を尽くすことと深く人を思いやる心)
当研究会は国内外の現代の優れた経営者や明治以降の卓越した日本の経営者を深く研究し、実践の経営に、また経営コンサルティング(実行支援型のハンズオン型コンサルティング等)に活かしてきております。
さらに、戦国武将の哲学や戦略とともに江戸期にも注目し、当会が、江戸時代で最も注目する人物の一人が、知名度は高くありませんが、いわば無名ながら、上杉鷹山をしのぐと言われている世界的視野をもった藩政改革者の山田方谷(やまだほうこく、備中松山藩)でございます。
戦後の政治家や経済人の精神的指導者といわれた陽明学者の安岡正篤氏はご著書の「先哲講座」の中で「古代の聖賢は別として、近世の偉人といえば、私はまず山田方谷を想起する。この人のことを知れば知るほど、文字通り心酔を覚える」と述べて尊敬の意を表されています。さらに、経営や政治、経済において「方谷のような達人・実際家の信念や論説や考え方を学ぶことが現代の様々な課題を解決するのに大変参考になる」と述べられています。
そのように、現代の経営や経済、経営者の姿勢やあり方、政治、政治家としての資質、リーダーとしての資質、リーダーシップ等々において大変参考になるのが山田方谷の信念や論説や考え方でございます。
その山田方谷は、隠居を考えていた、いわば定年間近の45歳のときに藩儒・学者から元締役(いわゆる勘定奉行)にいきなり抜擢され、己が理念・哲学に基づき備中松山藩5万石をわずか8年(実質7年)で立て直し、20万石ともいわれる実力を有する雄藩に作りかえました。
その間に、10万両(現在の貨幣価値にして、約200億円。約300億円という考え方もある)の借金を完済した上に、10万両の蓄財(貯金)をつくり上げました。
常に世界に目を向けながら広い視野で行ったその財政再建手腕、経営手腕、改革手腕は現代においても大いに学ぶべき点があります。
幕末随一の藩政改革者であり、再建の神様ともいうべき山田方谷の根本理念、根本姿勢が「士民撫育」(しみんぶいく。武士も農民も全藩民の物心両面の幸福を実現すること)と「至誠惻怛」(しせいそくだつ)です。
2015年のノーベル賞受賞者の大村智先生が北里研究所を改革された際の理念が「至誠惻怛」であり、ご自身が今もとても大切にされている座右のお言葉とお話されています。
また、長年親しいご縁をいただいている橋本徹日本政策投資銀行(DBJ)相談役(前社長、富士銀行頭取などを歴任)も折に触れ「至誠惻怛」や「それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて事の内に屈せず」など山田方谷の言葉を範として語られています。
山田方谷は、備中松山藩(現在の岡山県高梁市、倉敷市の一部など。当時は松山の城下町と64ヵ村からなる)を実質7年で再建した江戸時代屈指の藩政改革者ですが、卓越した儒学者・陽明学者であり、様々な宗教・禅にも通暁し、希代の教育者、希代の指導者でもありました。
また、第一線の元締役から引退後は、藩の参政的立場で、あるいは、顧問的立場で備中松山藩を支え続けました。
その優れた哲学や経営手法や経済理論を見ると、「幕末のドラッカー」、あるいは、「幕末のケインズ」と呼んでもよいかもしれません。イノベーションという観点から見ると、「幕末のシュンペーター」と呼んでもよいかもしれません。
また、山田方谷は、現代最高の名経営者の一人である稲盛和夫京セラ名誉会長・JAL名誉会長と人生哲学や経営哲学がほとんど同じといっても過言ではありません。その酷似している共通性には驚くばかりです。
他方、山田方谷は徳川幕府最後の筆頭老中(現在の総理大臣に相当)・板倉勝静(いたくらかつきよ。寛政の改革を行った徳川吉宗の孫の松平定信の孫) の懐刀としても活動しました。
明治新政府になってからは、維新の元勲の大久保利通や木戸孝允などから再三の新政府の要職への就任の要請がありましたが、固辞。晩年は、優れた教育者として「士民撫育」・「至誠惻怛」と「知行合一」の人生を全うしました。もし明治新政府に出仕していれば、渋沢栄一の上司ともなり、明治の経済、近代資本主義を牽引したことでしょう。
優れた日本的経営の範となる人物であり、大いに範としたいと考えております。
<山田方谷の信念と大切にしている言葉>
●「それ善く天下の事を制する者は、事の外に立ちて事の内に屈せず。
しかるにいまの理財者は悉(ことごとく)財の内に屈する」⇒「事の
外に立ちて、事の内に屈せず」。
●「君子は其の義を明らかにして其の利を計らず。ただ綱紀を整え、政令を
明らかにするを知るのみ。饑寒死亡を免るると免れざるとは天なり」、
「義を明らかにして利を図らず」。
「利は義の和なり」。
●「名利の為にする私念に出ずれば、縦令(たとえ)驚天動地の功業あると
も、一己の私を為すに過ぎず」。
「尽己照隅」――己の誠を尽くして、一隅を照らす
<山田方谷のフィロソフィのベースは儒学(「論語」「孟子」など)と陽明学>
●「創業の守成と相待て其業を成すや、春耕の秋穫と相待て其の稼を成すに
異ならず」
●「友に求めて足らざれば天下に求む。 天下に求めて足らざれば古人に求
めよ」。
●「天下のこと、敦れか不滞に成りて、滞に敗れざるものあらんや」。
●「驚天動地の功業も至誠側但、国家の為にする公念より出でずばー己の私
を為すに過ぎず」。
●「法を革むるの難きに非ず。法を行ふこと之れ難し。法を行うて人をして
其法に安んぜしむること最も難し」。
●「財を用る兵を用る、其道一なり。兵多きものは分て数処に備へ、兵少き
ものは合せてー手に囲む」。
●「十ヶ条あれば段々易より始、追々可致事」。
●「賊、心中に拠して勢未だ衰えず。天君、令有り、殺して遺こす無かれ
と。満胸ほとばしり出ず鮮々血、正にこれ一場鏖戦の時」。
●「人で言へば心は即ち太虚なり、而して感応息まざるなり。若し七情の形
迹に滞らば、感応息むなり。故に何もなき太虚の心より感応し、七情に
滞らざれば、生々息まず、是れ不易にして即ち中庸なり。中なるが故に
庸なり、庸即ち中なり、是れ中庸の義なり」。